東京発展裏話 巻頭言
〜東京の忘れ物〜
都市の発展には、再構築がつきものです。震災や戦災といった不可抗力的なもののみならず、都市化の進展や、生活の向上、文化の発展、技術の進歩による改変など、まさに都市は「生きて」いるのです。そして、その行為は、古いものの上に新しいものを塗り固め、作り直していく過程といえます。
戦国時代末期、徳川家康が江戸に入城した当時、現在日本屈指のオフィス街・日比谷はまだ入り江でした。銀座は江戸前島と呼ばれる岬で、下町は砂州の浮かぶ湿地帯でした。山の手は湧き水を集めた小さな川が刻んだ谷に富んだ森、多摩は武蔵野の原野で、ベイエリア・お台場やディズニーランドの辺りはまだ海の中でした。その光景は、現在の東京からは想像しにくいかもしれませんが。
江戸に幕府が開かれ、後に江戸から東京と名前が変わっても、東京の発展はとどまるところを知らず、自然を改廃し、既存のものを再構築することで、都市を広げていきました。自らを塗り固め直し、周囲を巻き込んで成長していくことで、東京という街は、世界屈指の都市に発展していったのです。
その塗り固めの過程の中でも、ときに過去の痕跡をとどめるものがひっそりと残されていました。東京が成長していく中で、忘れ物のように残された痕跡は、その発展の歴史を物語っています。そのような東京の遺物、すなわち東京の忘れ物は、貴重な成長のあかしなのです。それらを知ることは、東京の過去を回想し、現在を見つめ、未来を考えることになると思います。