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( 1999年7月14日 開設 > 最終更新 2023年9月20日 )


東京発展裏話 #2
船橋の巨大ミステリーサークル
〜通信所跡地の円形道路〜

(1999年7月14日 記)
(2006年5月7日 追記、写真追加)

 東京の東に位置する千葉県船橋市の行田2丁目・同3丁目。わずかにJR線に削られているものの、コンパスで描いたようにきれいなまん丸の道路に囲まれた区画があります。その直径はなんと約700m。円形の道路を1周すると約2.5km強。とてつもなくでかいです。一時期世間を騒がせた、ミステリーサークルのような区画です。

海軍船橋通信所跡の位置図
海軍船橋通信所跡の位置図

 このあたりはかつて、旧日本陸海軍の施設が集まっていました。そしてここには、かつて「船橋海軍電信送信所」という日本海軍の通信施設がありました。1915(大正4)年に開設され、1921(大正10)年までは一般用の「逓信省(現・郵政省)船橋電信送信所」も併設していました。海外の遠くへ電波を飛ばし、また受信するためには大きなアンテナが必要です。すなわちここは、日本海軍の巨大アンテナが建っていた通信所だったのです。

 戦後は、設備ごと進駐軍に接収されました。その後、周辺の都市化による無線ノイズが発生するなど、通信に不向きとなったため、通信所は移転しました。その跡地に、団地などが建てられることになり、敷地外縁に合わせた円形の外周道路が設けられたのです。

 現地に行ってみると、確かに緩やかな曲線の道路があります。厳密には直線−角−直線の組み合わせで、非常に細かい正多角形といった方が正しいのかもしれません。あまりにその円が大きいので、そこがミステリーサークルだと思わなければ、ただの緩いカーブの道に見えます。

 敷地の名残の円形道路以外の遺物としては、「海軍用地」を示す標石が残っているのを確認しています。最初にその地を訪れた時は、建っているもの2カ所、倒れていたもの1カ所を確認したのですが、先日訪れた際には倒れていたものは行方不明となり、建っている2カ所のみを確認しました。

 一つ目の場所は、電信送信所跡地の北東の部分、円形道路の外側に、フェンスを隔てて畑があります。その畑の円形道路よりに、縦×横が約15cm四方の花崗岩製の標石が、高さ約18cmを露出させ埋まって立っており、側面道路側から「海軍」と彫ってあるのが読みとれます。

地図1の場所にある「海軍」の文字が見える標石。
地図1の場所にある「海軍」の文字が見える標石。
(2006年3月撮影)

円形道路の外周(写真の左方向)側の畑の中に海軍標石があった。消火栓標識のあたり。
円形道路の外周(写真の左方向)側の畑の中に海軍標石があった。消火栓標識のあたり。
(2006年3月撮影)

 もう一つの場所は、跡地の北西側、JR線に分断され円形道路が迂回する部分の外周側の畑の中。ここにも花崗岩製の標石が高さ約5cm程度顔を出しています。

地図2の場所にある標石。
地図2の場所にある標石。
(2006年3月撮影)

円形道路の外周(写真の右方向)側の畑の中に海軍標石がある。奥側に写っているカーブミラーのあたり。
円形道路の外周(写真の右方向)側の畑の中に海軍標石がある。奥側に写っているカーブミラーのあたり。
(2006年3月撮影)

 これらの標石が、かつて海軍電信送信所であったことの証左です。

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