東京発展裏話 #8
日本最高のタワーを支えた基礎構造物
〜NHK川口ラジオ放送鉄塔跡〜
(2001年1月31日 記)
(2002年5月4日 画像等追記)
(2004年5月9日 画像等追記)
東京タワーが1958(昭和33)年に333mの高さを誇る鉄塔として日本一の構造物となるまで、高さ日本一の鉄塔が東京近郊・埼玉県川口市の住宅街にあったのをご存知でしょうか。
NHK川口第一ラジオ放送所跡敷地の概要図
東京タワーが建つまで実に21年間、312.78mという高さ日本一の記録を持っていた鉄塔が「NHK川口第一ラジオ放送所」南塔と北塔です。
1937(昭和12)年に竣工し、1982(昭和57)年まで、関東地方一円にNHKラジオ放送等を送信していた送信用鉄塔です。鉄塔そのものは老朽化と技術革新等により送信設備を埼玉県久喜市と菖蒲町にまたがる敷地に移管した事で、1984(昭和59)年までに解体されてしまいましたが、現在も跡地にその名残を見ることが出来ます。
JR京浜東北線西川口駅の東方、住宅街が広がる川口市上青木3丁目と4丁目にまたがる所に、ぽっかりと開けた空き地があります。そこには横断道路があり、一部は運動場として解放されていますが、敷地のほとんどはNHKによる立入禁止の看板が立っている草地です。
空き地のほぼ中央に現在も一本柱に支えのワイヤーを四方に張った構造(支線式円管柱)のアンテナが建っていますが、これは先の鉄塔を解体した後に、放送回線中継と万一の時の予備放送(ラジオ)用としてNHKが1985(昭和60)年に新しく建てた高さ110mの「NHK川口予備放送所」送信塔です。現地をご覧になった方は、この110m送信塔の3倍の高さの鉄塔が2基並んでそそり立っていたと想像して頂くと往時のすごさが分かると思います。
NHK川口第一ラジオ放送所鉄塔の模式断面図
日本一の巨塔の構造は、一辺3mの正三角形断面をした三角柱トラス鉄塔で、柱と主塔基部(基礎)との間に基部絶縁(巨大な磁器碍子)4柱が挟み込まれ、主塔を支える支線(ワイヤー)は7段3方向に張られていました。これが南北方向に463m離れて2基建っていました。塔の最上部、5段目、3段目にそれぞれ赤色の航空標識灯が付けられた他、南塔には4人乗りエレベータが設置され、最上部まで10分で昇る設計になっていました。軟弱地盤に建つ鉄塔の荷重1,965tを支えるため、塔を支える基礎には長さ23mの鉄筋コンクリート杭が48本打たれ、また支線を支える支線基礎は850tのコンクリートブロックが使われました。
この2柱の間に空中線支線(ワイヤー)を張り、その中央から電波を送信するカドミウム銅線の空中線(アンテナ)を垂直に垂らしていました。当時は、現在のように塔本体をアンテナとする技術が未完成だったため、アンテナ線は空中に張る必要がありました。またそれは垂直に張った方が水平指向性が良く、かつ地中のアースが短くて済みました。そこで塔を2基建てて、その間に電波を発するアンテナ線を吊したのです。ですから2対の塔は、その塔自体が電波を発するのではなく、アンテナ線を張るための支柱の役割を果たしていました。
写真1:NHK川口ラジオ送信塔 北鉄塔基部
これが312m、日本一の鉄塔を支えていた基礎です。これだけでは、何の目的で造ら れ使われたものか分からないでしょう。説明板も何もなく残されており、謎の度合いは飛鳥の酒船石レベルです。南塔にも同じ基礎がありましたが公共施設建設のため撤去されました。
写真2:NHK川口ラジオ送信塔 北塔支線基礎(下部3段用、西側)
塔本体を支えていた支線(ワイヤー)の基礎部分。一方向7本の支線のうち、下3本を支えた基礎です。敷地ぎりぎりまで住宅が迫ります。右にあるのは立入禁止の看板。
写真3:NHK川口ラジオ送信塔 北塔支線基礎(上部4段用、北側)
一方向7本の支線(ワイヤー)のうち、上4本を支えた基礎です。支線が掛かる部分だけ直線状の敷地がかつてのまま残っています。遠方にかすかに見えるのが現在の110m予備送信塔。これの3倍の高さの鉄塔が建っていたのです。
写真4:NHK川口ラジオ送信塔 北塔支線基礎(上部4段用、東側)
住宅地の合間に支線(ワイヤー)を張るための敷地が残り、敷地幅いっぱいにコンクリート製基礎が今でも設置されたままです。現在もNHKの管理地となっています。
なお、同時期に建てた「NHK鳩ヶ谷第二ラジオ放送所」(現・埼玉県立鳩ケ谷高校敷地)も高さ206.34mの支線式トラス鉄柱の2本組みで建てられました。これらを使い(テレビやFM放送と異なり、中波ラジオ放送は基本的に1波1アンテナで発信します)川口からNHKラジオ第一放送を、鳩ヶ谷からはNHKラジオ第二放送を放送していました。
ではなぜこの巨大な電波塔が建設されたのでしょうか。背景は以下の3つの要素がありました。
背景1『受信状態の改善』
この放送所が建てられる前の関東地方向けNHKラジオは出力10kwで送信していたのですが(現在の関東地方向けNHKラジオは出力150kw)、この小電力出力では受信可能地域に於いても遠方では受信状態は芳しくなく、受信状態の改善が求められていました。
背景2『小電力局建設の省略と周波数割当対策』
この当時標準の出力10kwでは電波の到達距離が短く、このままでは局(放送所=アンテナ)をたくさん建てる必要がありました。これは建設、維持共に費用が掛かり、また近隣の局は混信を防ぐため互いに違う周波数(チャンネル)を割り当てる為、周波数枠が不足してきました。この小電力(小出力)局建設の省略と周波数割当対策として、1つのアンテナで広範囲をカバーする大電力(大出力)局建設への要望がありました。
背景3『電波国防体制の確立』
上記の状況の中、1933(昭和8)年頃から中国やソ連のラジオ電波出力が強力になり日本各地でNHK放送と混信し始めました。関東地方は直接の被害は無かったのですが、日本が戦争への序章を歩んでいた時期であり、日本全土を他国の放送から守る「電波国防体制」を確立する必要があると判断されました。そのために従来より強力な出力でラジオを発信する事となり、関東地方は150kwの大電力放送が検討されました。
中波放送(AMラジオ)は、発信する周波数に合わせて輻射体であるアンテナ長が決定し、送信波長に対してキリのいい数字(1/2波長、1/4波長など)が効率の良いアンテナ長になります。当時の第一放送は590kHz、波長は約508.5mとなり、これを大出力150kwに対処するためやや多めの0.53波長、約269.5mを有効長とするアンテナ線を必要としました。さらに前述の通り、アンテナは水平より垂直に張る方が遠方へ飛ばせます。また水平に電波を飛ばしフェージング現象(直接届く電波と上空の電離層で反射して届く電波を多重に受信し雑音となる電波障害)を避けるためには対地容量を増す事が必要で、そのために地面に放射状に何本ものラジアルアースを埋設するのですが、垂直アンテナの方がアースの長さが短くて済み、埋設面積を少なくする事が出来ます。そのためアンテナ線を垂直に約300m張れる高さが求められたのです。
なお、現在のNHK第一放送のアンテナは245mです。これは、現在は頂冠(頂部容量冠=トップローディング)という装置を最上部に付ける事で見かけの長さを稼げる技術が確立されたからです。現行放送は594kHzですから、本来なら波長約505mに出力150kw対応で0.53波長の約268mを必要とするところを、有効長240m(0.47波長相当)に頂冠を付けることで実効長0.53波長を得ています。このように現在では実際のアンテナは短くて済むために、それほど高いアンテナを必要としなくなっているのです。現在の中波放送(AMラジオ)送信塔は65m、90m、110mにほぼ標準化されています。
次になぜその大電力放送所の建設が川口の地に選ばれたのでしょうか。理由は3つありました。
理由1『既存設備の利用』
それまでの放送所(アンテナ)が埼玉県北足立郡新郷村(現川口市新郷。現在は文化放送のAMラジオ送信所敷地に転用)にあり、新放送所もその周辺に建てる事が前提にありました。これは東京の放送局(スタジオ)から放送所へ放送信号を送るケーブルをそのまま利用できるからです。
理由2『広大で平坦かつ安価な敷地』
大電力局の建設に当たっては広大で平坦なまとまった敷地を必要とし、また第1放送、第2放送のアンテナをそれぞれ別の場所に設け、災害時にどちらかが生き残れば放送が続けられるよう近傍の2ヶ所にアンテナを建てる事になり、その用地買収に費用が掛からない所を選定する事になりました。
理由3『地下水の確保と湿地帯』
当時の電波発信機は真空管を使用していたため、冷却用に大量の水を確保する必要がありました。また、電波の発射方向を水平に向けるためアンテナ基部から放射状に接地(アース)を地中に張る必要があるのですが、地面が湿潤な方がアース効果が高まるため、地下水が得やすい湿地帯の土地が求められました。
上記3つの要素を満たす場所として、川口町(現川口市)と鳩ヶ谷町(現鳩ヶ谷市)の田圃地帯が選定され、それぞれ川口第一放送所、鳩ヶ谷第二放送所が建設されたのです。
計画と予算は1935(昭和10)年に監督官庁より認可されました。川口は1937(昭和12)年7月に起工、同年12月に竣工し仮放送開始、翌年5月から本放送を開始しました。敷地面積151,583平米(45,600坪)、東西方向420m、南北方向880mの広大な敷地に、横河橋梁(現横河ブリッジ)製の高さ312.78mの鉄塔2基がそびえ立ち、その塔間距離463mに空中線支線を張り、空中線長270m、出力公称150kw(実質100kw)のアンテナが設けられました。他にも局舎、給電所(アンテナハウス)、発電所、日当たり2,700tの冷却用地下水をくみ出すポンプ、貯水池、宿舎を備えていました。竣工費は480万円、この工事で死者1名重傷4名の記録が残っています。
戦中戦後は、一時的に発信の休止(新郷放送所に移管)や、FEN(米軍極東放送)の接収利用、第二放送の発信を行なうなど紆余曲折を経ましたが、1963(昭和38)年から再びNHKラジオ第一放送の放送所として電波を発信し続けました。
エレベータのある南塔には大気汚染観測器と気象観測器が設けられたほか、1969(昭和44)年に紅白塗装が施されました。しかし1976(昭和51)年12月に老朽化のため北塔を解体、暫定的に南塔から斜めにアンテナ線を張る方式に代わりました。そして1982(昭和57)年、新しく埼玉県久喜市、菖蒲町にまたがる「NHK久喜菖蒲ラジオ放送所」の完成に伴い、ラジオ放送のアンテナとしての役目を終えました。最後まで残った南塔も1984(昭和59)年5月に解体され(下部写真参照)、その勇姿を見る事は出来なくなりました。
南塔解体の翌年に敷地中央部に地上高110mの「NHK川口予備放送所」送信塔が建てられた他、一部を運動場として川口市の管理で一般解放しています。
敷地南側は1989(平成元)年に埼玉県へ公共用施設用地として売却されました。この場所は地上9階建ての埼玉県の実験研究施設、科学館とNHKの映像ホール、展示施設、スタジオ、データセンター等の映像拠点施設として2003年の完成予定で2001(平成13)年から建設が始まっています。
北塔部分は立入禁止の空き地(アース埋設地)として残されており、写真に写した塔本体の基礎や支線基礎が残っているのは北塔のものです。ただし、この敷地も、予備送信塔の代替施設がさいたま市新開に完成したため、近いうちに整地され再開発されて消滅してしまうと思われます。
また、敷地北西の局舎建物はその後、その重厚な造りからNHKドラマ「春よ来い」で海軍の建物としてロケに使われたりしましたが、1995(平成7)年に解体され、同じ場所に1997年(平成9)年、放送衛星の管制を行う「衛星放送川口地球局」が完成し、巨大なパラボラアンテナが天に向いています。
21年間もの間、高さ日本一の構造物を擁する施設として、また、47年間日本のラジオ放送の基幹であり歴史を刻んできたこの地は、技術の進歩に合わせ生まれ変わり、これからも新しい放送技術の拠点として歩み続けていくのでしょう。
(参考文献)
技術局送信技術センター(1996):「川口,鳩ヶ谷放送所史」, 日本放送協会, 213p.
兵藤二十八、小松直之(1999):「日本の高塔」, 四谷ラウンド, 99p.
無線百話出版委員会編(1997):「無線百話−マルコーニから携帯電話まで」,クリエイトクルーズ,502p.
川口ラジオ放送所送信塔(南塔) 解体時の写真
(2002年5月11日 追記)
当ページを見て頂いた埼玉県川口市出身のはぎわらさんから、最後まで残っていた南塔の解体中の貴重な写真画像を頂戴しました。以下は はぎわら さんの撮影によるものです。
はぎわらさんによると、鉄塔は子供達の間では、夜間に点灯する航空標識灯の点滅から「ピカッポ」という愛称で親しまれていたそうです。
川口市広報か新聞に、酸性雨の影響を調査し、補強か解体かを行う旨の記事を見た記憶があり、ある日、北塔の塔頂に突然クレーンが設置され何かしていると思ったら、北塔は解体されていったそうです。
北塔解体時、約30mの高さから作業員が転落死した事故があったそうです。
その後、残っていた南塔の塔頂にもクレーンが設置され解体されていったので、さすがにいたたまれなくなり写真を撮りに行かれたとの事です。
写真から、鉄塔本体の構造、鉄塔支線(ワイヤ)の締結状態、鉄塔基部(土台)の設置状況や、解体作業が宮地建設工業による事などがお分かり頂けます。
貴重な参考資料として、はぎわらさんのご承諾の上で当ページに掲載させて頂きました。ありがとうございます。
解体の推移
NHK川口ラジオ送信塔 南塔 残り4段
(北方向から 1984(昭和59)年2月末頃 はぎわらさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 南塔 残り3段
(北方向から 1984(昭和59)年3月第1週頃 はぎわらさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 南塔 残り3段
(南方向から 1984(昭和59)年3月第2週頃 はぎわらさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 南塔 残り3段
(北方向から 1984(昭和59)年3月22日 はぎわらさん撮影)
解体用ジャッキアップクレーンの様子
NHK川口ラジオ送信塔 南塔解体用クレーン
(南方向から 1984(昭和59)年3月第2週頃 はぎわらさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 南塔解体用クレーン
(南方向から 1984(昭和59)年3月第3週頃 はぎわらさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 南塔解体用クレーン
(北方向から 1984(昭和59)年3月第1週頃 はぎわらさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 南塔解体用クレーン
(北方向から 1984(昭和59)年3月第3週頃 はぎわらさん撮影)
解体用地上クレーンと鉄塔基部
NHK川口ラジオ送信塔 南塔 残り2段と地上解体クレーン
(北方向から 1984(昭和59)年3月22日 はぎわらさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 南塔基部(土台)
(南方向から 1984(昭和59)年3月第2週頃 はぎわらさん撮影)
川口ラジオ放送所送信塔(北塔) 在りし日の姿
(2004年5月9日 追記)
rainbowmanさんより、1972(昭和47)年頃に撮影されたNHK川口ラジオ放送所送信塔の現役時代の貴重な写真画像を頂きました。
これが、東京タワーが建つまで日本一の高さだった鉄塔の勇姿です。
往時を偲ぶ貴重な資料として、このたびrainbowmanさんの許可を頂き当ページに掲載させて頂きました。ありがとうございます。
NHK・川口ラジオ送信塔(北塔) 1972(昭和47)年頃
NHK・川口ラジオ送信塔・北塔の姿です。この北塔は1976(昭和54)年に撤去されました。
NHK川口ラジオ送信塔 北塔 全景
高さ312.78m。東京タワー(333m)とほぼ同じ高さの鉄塔がワイヤーで張られながらそびえ立っていました。
(1972(昭和47)年頃 rainbowmanさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 北塔 下から見上げたアングル
支線(塔体を支えるために張られたワイヤー)がよくわかります。
(1972(昭和47)年頃 rainbowmanさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 北塔基礎
当ページ記事の上部にある「写真1:北鉄塔基部」と同じ場所です。
(1972(昭和47)年頃 rainbowmanさん撮影)
NHK川口ラジオ送信塔 空中線(アンテナ)の給電部
給電部は南北両塔の中間地点の地上に設置されていました。ドーム状の給電部建屋から上方向に伸びている線がラジオ電波を発信する空中線(アンテナ)です。この空中線を高さ約300mの高さから垂直に吊るすための巨大な柱として南北の鉄塔が建てられていたのです。
(1972(昭和47)年頃 rainbowmanさん撮影)